「日中友好三十而立」2)交流について(2002年度第24回日本・中国青年親善交流参加報告) 

 「交流」というのは一体何なのかということ自体が難しいと思うのですが、今回の親善派遣団として行った交流というのは、要人会見や施設訪問のようなまさに儀礼的な友好親善交流というものと、現地の青年連合会の幹部の人たちとの歓迎会に出席したり、青年連合会の人がアレンジしてくれたプログラムに参加するという個別のコミュニケーションが可能なものがありました。
2002中国団学生との交流
北京外国語大学日語系学生との交流。話し足りなくて、ホテルのロビーで話し込みました。(北京)
2002中国団太極拳での交流
合宿討論会会場にて。待機している時間なんですが、お互いに何とか仲よくしようと頑張っていたんですよね。一人の中国人が太極拳をやり始めて、みんなでチャレンジしているところ。(昆明)

 前者の交流はそれほど派遣される前の想像と変わらないものでしたが、後者の「交流」は私が想像していたものとかなりのギャップがありました。
 私は、交流の場面ではいつでも1人の日本人に対して1人以上の中国人が殺到していやが応でもコミュニケーションせざるを得ない状況に置かれるのだと思っていました。しかし、現地でのプログラムは中国人参加者は派遣団の人数よりも少なくて、中国人1人に対して複数の日本人が集まるという状況でした。そして、今回の中国派遣団のプログラムのためにアレンジされてやってきた青年の中には、日本語が堪能な人も結構いました。
 この派遣団の物すごく窮屈なスケジュールの中で限られた短時間の交流という条件がついていますから、日本語のわかる中国人と交流するには賢明な方法だったのかもしれませんが、何か不思議な感じがしました。
2002中国団スポーツ交流
スポーツ交流といっても和気あいあいでやるものだろうと若干甘く見ていた私たちですが、相手は現役バリバリの「選手」が出てきたため、みんな目の色を変えて一生懸命やりました。(長沙)
2002中国団民族学院
雲南民族学院での交流。日中双方で出し物を出し合った後、みんなで阿波踊りをしているところ。(昆明)

 確かに、中国にいながらにして日本語で交流ができたことは非常に幸いで、話も弾んで楽しかったことは楽しかったです。しかし、私にとっては、日本語ができないなりにもコミュニケーションに努力する人たちのことがむしろ印象に残りました。彼らはゆっくりと簡単な単語を選んで中国語を何度も反すうして話すことでわからせようとしたり、英語やら筆談やらをミックスするなどしてねばり強く自分の意思を伝えようと努力をしていました。
 今回のように日中青年交流という共通の目的で意欲的に集まった人たちでさえ、互いに言葉がよくわからないという壁を認識するとたじろいてしまうし、たじろかれがちになります。けれども、すべてのコミュニケーションが遮断されているわけではないわけですから、言葉の障害を感じながらも根気強くあきらめずに意思疎通を図ることは可能なんですね。
 私は、それを実践している人に敬意を表しながら、余りコミュニケーションのために努力をそれほどしなかったと自らを反省しているところです。
[ 2002/10/03 17:28 ] 事業参加報告 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://saitamaiyeo.blog80.fc2.com/tb.php/18-d2b5a689